Matrica 3rd Single

蛇足的小話。

「疲れたー!!」
ばすん、と音を立てて座ると硬い寝台の上の枕が長い髪と一緒に跳ね上がった。
一ヶ月ほど留守した部屋を見渡しながら、ジュナは掃除しないとな…と呟いた。
「おいジュナ、飯行こうぜ」
部屋の扉をノックもなしに空けて、背が高くて体格のいい男がひょいと顔を出す。
「ちょっとフーゴ! 乙女の部屋はちゃんとノックしてっていつも言ってるでしょ!」
「ほーぉ、どこに乙女がいるってぇ? 俺にとっちゃまだケツの青いガキだがな」
フーゴと呼ばれた男は口元を歪めて笑う。その表情は慣れぬものが見たら凶悪と言わざるを得ないものであった。
「フーゴなんてただのおっさんじゃないのよ! …まぁいいわ、今日は長い仕事から解放されて気分がいいし酒盛りね!」
ジュナはそう言ってフーゴの横をすり抜ける。フーゴはそんなジュナの後ろに苦笑しながらついていく。
外に出ると星が輝く空にはいくつもの船が浮かんでいた。

――エリュシオン97c。ヒトが最初に宇宙に飛び出してから次々と整備されてきた第二、第三の地球の中でも歴史の古い惑星である。
宇宙交易の拠点ともなっているこの惑星には様々なヒトが住む。
ジュナとフーゴもこの惑星の住人である。他の惑星に比べてやや古ぼけた街が点在する何もない惑星であるが、彼らはここが気に入っている。
「おじさーん、ビール追加ね!」
「はいよージュナちゃん! フーゴさんも、しばらくぶりだねぇ」
二人の行きつけの酒場は繁華街の一角にある賑やかな店だ。夫婦で切り盛りしているため店は大きくはないが、料理が何より美味いのだ。
「はーい、お仕事一段落にかんぱーい」
ジュナとフーゴは運ばれてきたビールで乾杯をする。二人は注文した料理と酒に舌鼓を打った。
年齢も身長も性別さえ違うこの二人は仕事上の相棒である。以前はジュナの両親や他の仲間も一緒になった大所帯で仕事をしていたが、彼らが引退してついに二人だけになったのである。そのためジュナとフーゴは長年の付き合いがあるのだ。普段は荷物の運び業をしているが、細々とアレを探してこいだのこの人を乗せていけだのという頼みを引き受けていたらいつの間にか何でも屋のようなものになっていた。
別の惑星に荷物を届けに行く仕事で二人は一ヶ月拘束された。運ぶだけなら一週間程度で帰って来れたのだが、航行経路中に中央政府の調査とやらにぶつかってしまいしばらく足止めを食らったのである。まぁそこで調査に協力するという名目で調査に同行するという仕事をぶんどったのだが。
「食べた食べたー」
酒場での食事を終えて帰宅した二人は、ダイニングのソファに向きあうように座り、テーブルに置かれた電子端末から報酬を眺めている。因みにここはフーゴが借りているアパートであり、その一室にジュナは住んでいる。本人は断じて同棲ではない、ルームシェアだと言い張っているが、周囲からは生暖かい目で見られるだけである。
「しばらくはのんびりできそうだな」
「じゃぁ私お買い物行きたいから着いてきてよ、に・も・つ・も・ち!」
嬉々としてのたまったジュナの言葉にフーゴはげんなりとする。女の買い物は長い上に多い。そしてフーゴは体が大きく荷物持ちにはぴったりだし、屈強な見た目はボディーガードにもなるのだ。仕事が終わるとジュナは大抵買い物に行きたがる。毎度のことながらげんなりする。
端から見るとそれがデートそのものだと二人は気が付かない。周囲からは生暖かい目で(以下略)
「そういえばこれどうするのよ」
ジュナがテーブルに置かれた物体に視線をやる。
「持ってきちまって今更返すわけにもいかねぇが…貴重な前時代の資料だぜ? あの調査団が一番欲しがってたものじゃねぇのか」
二人の眼の前にあるのは鈍い光沢を放つ丸い物体である。完璧な球体のそれは調査中にフーゴたちの船に入り込んだものらしい。入り込んだということは動くことができるということで…。
『ご迷惑をおかけしてスミマセン。でもボクはこのままアナタがたと一緒にイタイのです』
突然音声が聴こえる。そして球体からウイーンという機械音が鳴りカメラのようなレンズがぐるん、と姿を表し球体自体が浮いた。
「調査されたら壊されるかもしれないのが嫌だなんて…あんた機械のくせに人間臭いわね」
船の中でこれをやられた時は心底驚いたものだったがすでに慣れてしまっている。
『長い間ヒトリでたくさんの人間を観察してましたから、余計そうなったのでショウ。そして観察しているだけの日々が寂しくなったのデス』
ノイズ混じりの機械音声は少年の様に聴こえる。そしてかなり饒舌である。
まだフーゴさえ生まれていないもっと昔の時代に作られた知能を持つ監視衛星なのだと物体は語った。同じ軌道内をぐるぐる廻って星のふりをしていたという。なんの監視なのかはわからないが、知識も豊富そうな物体を「仲間」に加えることにしたのである。
「なんか面白くなりそうね!」
二人と一匹(?)が活躍するのは、また別の話。